『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(2020)

個人的感想

 エヴァンゲリオンは、テレ東で夕方に放映されていたのを、リアルタイムで観ていた。当時中学生の僕は、アニメ鑑賞はとくに趣味ではなかったんだけど、たまたまチャンネルを変えたら、それまでのアニメ様式を逸脱した映像が目に飛び込み、それから毎週観ることにした。でも、その後に庵野が演出した『彼氏彼女の事情』のほうが、さらに実験的で観念的な描写に溢れた、多分にアバンギャルドな作品で、ずいぶんと気に入った記憶がある。よくあんなもん18時台の地上波で流せたなと思う。

 しかしその後は、『ラブ&ポップ』とか『シン・ゴジラ』などの実写映画は観ていたものの、エヴァについてはわざわざ動向を追うことなく20年以上が経過し、『序』『破』『Q』を観たのは、すべて2021年になってからとなった。その感想はというと、『破』はまあまあ面白かったんだけど、それ以外の作品には、とくに新しさも感じられず、感銘を受けることはなかった。

そんな僕が満を持して本作を鑑賞。すると、鈴原サクラが銃を取り出すメロドラマのシーンで、ベタなアクション映画のごとく、ミサトさんが艦長としての覚悟を明断するシーン、そこで泣いてしまったのだ。あれ?エヴァに泣かされるようなことがあるとは思わなかったな。「これで終わり」と決めたからなんだろうか、全体的に、登場人物それぞれの背景や目的が丁寧に説明されていて、物語として意味が通じるようになっていた。もちろん「ロンギヌスの槍」やら「リリス」やら、どうやら聖書をモチーフとしている設定による展開は意味不明なんだけど、少なくとも人間関係によるドラマは、これまででいちばんしっかりしていたおかげで、思いもよらず感情移入させられてしまったのだ。

その一方で、映像表現といえば、小さな制作会社だからこそできるのであろう、一般的な視座に迎合しない、急進的な演出がたびたび登場した。そもそもまず、CGの使い方の統一感のなさを放置できる「やってまえ感」があった。たとえば、戦艦やエヴァは、計算してモデリングした立体をあえて2Dに見えるように色数を落としてベタ塗りしているんだけれど、NERV本部の強襲シーンなどになると、唐突に3Dそのままのオブジェクトが現れたりする。あの巨大で写実的な顔も違和感であった。そしてその一方で、人間たちはセル画のごとく古き良き2Dで画面上を動き回っている。

また、プロジェクターで過去作のダイジェストを写したり、物理的な「セット」を破って裏側に飛んでいったり、そもそも、絵コンテやネームになっちゃったり、そんな「第四の壁」を破る演出をたびたびやってしまった。これが興行収入1位になるほどのマジョリティとなる日本文化は、まだまだ死んでいない。

タイトルとURLをコピーしました