2021年7月30日、『イン・ザ・ハイツ』が公開を迎えます!
ニューヨーク・”ワシントン・ハイツ”は、いつも音楽が流れる、実在する移民の街。その街で育ったウスナビ、ヴァネッサ、ニーナ、ベニーは、つまずきながらも自分の夢に踏み出そうとしていた。ある時、街の住人たちに住む場所を追われる危機が訪れる。これまでも様々な困難に見舞われてきた彼らは今回も立ち上がるが―。突如起こった大停電の夜、町の住人達そしてウスナビたちの運命が大きく動き出す。
・・・・映画『イン・ザ・ハイツ』公式HPより
ブロードウェイで上演され、2008年のトニー賞で作品賞を始め4冠に輝いた舞台の実写映画化となります。人種差別や都市開発などの社会問題を根底に置きながらも、葛藤しながら夢に向かう若者たちの輝きをエネルギッシュに描いています。
ミュージカルは、感情のほとばしりを、セリフだけではなく、歌とダンスで高らかに表現します。そのため、鑑賞する私たちの心を動かしやすく、ときには、熱に浮かされたような感動を得ることができます。
でも、脈絡なく突然歌い出すからなあー、私はちょっと苦手・・
たしかに、古典のころから受け継がれる様式の、その順当な表現方法に、人によっては好き嫌いがあるかもしれません。しかし、最近の作品には多用なバリエーションがあり、もしかすると気に入る作品があるかも知れません。そこで今回は、ミュージカル映画の中でも、ちょっと珍しい、斜め上を行った作品をご紹介します!
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000)
まず最初は、日本でも人気の高い『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のご紹介です。
チェコからの移民のセルマは、12歳の息子と2人暮らしです。彼女は眼の病気により視力が失われつつあります。その病気は遺伝性であり、せめて息子は助けようと、昼間の工場の仕事以外にも内職をして、手術費用を貯めようと奮闘する毎日でした。しかし、歌が好きで、困難な状況にも関わらず明るく振る舞う彼女に対して、工場の同僚や近所の人達は優しく手を差し伸べるのでした。しかしある日、視力の低下が進行していた彼女は工場の機械を壊してしまい、それが理由で解雇されてしまいました。そしてさらに悪いことに、息子の手術のために蓄えていた貯金が盗まれていることに気づきます。
セルマは、何かつらいことがあると、自分の空想の世界に入り込むくせがあります。すると、映像が切り替わります。それまでの現実世界は、ドキュメンタリー映像のような手ブレの多い画角でしたが、空想の世界は、計算されたなめらかなカメラワークになります。その世界は、彼女による彼女のためのミュージカルの世界。もちろん彼女は主演俳優です。
「胸糞映画」「トラウマ映画」と評されることもあり、救われない展開のストーリーで有名になった作品ですが、構造としては、れっきとしたミュージカルです。むしろ、ミュージカルの本質を突いているといってもよいのではないでしょうか。というのも、セリフによる現実のシーンが苦しいからこそ、歌のシーンで一気に開放されたカタルシスを得ることができます。この高揚感が、ミュージカルのひとつの効果です。
主役のセルマを演じるのは、世界的な歌姫のビョーク。監督は『ドッグヴィル』(2003)や『アンチクライスト』(2009)など、多くの問題作を世に送り出してきたラース・フォン・トリアーです。
『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』(2001)
お次は、『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』です。
売れない歌手のヘドウィグは、小さなステージを回って全米ツアーをしています。彼は東ドイツに生まれました。子供の頃からラジオから聞こえてくるアメリカのロックに夢中、いつかはロックスターになりたい、と夢見ます。17歳になったときに、米軍の兵士と出会ったヘドウィグは、性転換手術をして彼と結婚し、渡米しますが、程なくして彼とは別れます。その後、さまざまな仕事をしながらなんとか生活していた彼は、ベビーシッターで訪問した家でひとりの少年と出会い、恋に落ちます。これが、のちにロックスターとなるトミーでした。
日本でも舞台化され、三上博史や山本耕史、森山未來などが演じてきた作品なので、知ってる方も多いかと思います。
これもミュージカルなの?
本作の歌のシーンは、あくまでもロックバンドの演奏という形態を取っているので、会話の途中で歌い出すようなくだりはありませんが、歌によって物語をつむいでいく意味では、ミュージカルだと言えます。むしろ、そのように役割を分けているにも関わらず、ストーリーが切れ目なく進むのは、優れた構成力だと言えます。
監督・主演のジョン・キャメロン・ミッチェルの自伝的な要素を盛り込んだ物語でもある本作は、彼が自らオフ・ブロードウェイで上演したところ大人気となり、そのまま映画化される運びとなりました。その後も個性的な映画を制作しており、『パーティで女の子に話しかけるには』(2017)では、エル・ファニングを主演に迎え、パンクとSFが融合したユニークな演出を披露しました。
『魔法にかけられて』(2007)
続いて、ファンタジーコメディの『魔法にかけられて』です。
主人公のジゼル姫は、おとぎ話の世界で、森の動物たちに歌を聞かせながら、天真爛漫に暮らしておりました。彼女の夢は、王子様の真実の愛を手に入れること。ある日、エドワード王子に出会って婚約します。しかし、継母のナリッサ女王は、自らが王座についておきたいという保身から、王子の結婚を阻止するために、魔法を使ってジゼルを現実のニューヨークへと追放します。雨の都会で途方にくれてさまよっていたジゼル姫を助けてあげたのが、シングルファーザーで合理主義なロバート。最初は奇妙で世間知らずな彼女に面食らっていましたが、その純粋さに触れるにつれ、次第に心を開いていきます。
おとぎ話の世界は2Dアニメ、現実の世界は実写で表現されています。
ディズニー製作の映画で、要所要所にディズニープリンセスの非常識な振る舞いを揶揄するような、セルフパロディが見られます。そのひとつに、感極まってとつぜん歌い出す彼女に、ロバートが「よせ、人が見てる!」と注意するというシーンがあります。ミュージカルの中だけの暗黙のルールの不自然さを、現実の我々は自覚している、という前提に立ったギャグでした。
主演はエイミー・アダムス。『Junebug※日本未公開』(2005)でブレイクし、本作の主演に抜擢。ポール・トーマス・アンダーソン監督の『ザ・マスター』(2012)や、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『メッセージ』(2016)などの話題作に出演しています。
また、アニメの世界から抜け出てきたキャラクターを演じる俳優たちが、いかにもそれらしい面々が集まっているところが凝っています。いかにもディズニー映画に出てくる、おおらかでちょっと抜けているエドワード王子を演じるのは、『X-MEN』シリーズでサイクロプスを演じるジェームズ・マースデン。裏の顔を持つ従者、ナザニエル役に、『ハリー・ポッター』シリーズを始め、ファンタジーの脇役に引っ張りだこのティモシー・スポール。そして継母の女王は、シリアスからコメディまで手広くこなす、スーザン・サランドンが担当しました。
『TOKYO TRIBE』(2014)
日本映画からは『TOKYO TRIBE』をご紹介します。
近未来の東京が舞台。「トライブ」と呼ばれるギャングチームが、それぞれの縄張りを支配していました。気性の荒いトライブ「ブクロWU-RONZ」を仕切るメラは、暴力団のブッパより命令され、大司祭の娘・スンミを探し始めます。メラが、その調査中に、以前から目障りだった穏健派である「ムサシノSARU」のメンバーを殺したことにより、東京中を巻き込む大抗争が始まるのでした。
日本でも1950年〜60年代にかけてはエンタメ映画の本流を走っていたミュージカルですが、ここ近年では、一部にそのエッセンスを取り入れた『嫌われ松子の一生』(2006)があったり、周防正行監督が『舞妓はレディ』(2014)や『ダンスウィズミー』(2019)などを撮ってはいますが、全体的になかなか見られなくなってきました。
そんな中、日本では珍しい、セリフのほとんどが歌、というかフリースタイル・ダンジョンのようなバトルラップ、という異例の作品です。同名の漫画を原作で、アニメ化もされた作品を、全体的に脚色して実写映画化となりました。
監督は園子温。西島隆弘と満島ひかりが主演した『愛のむきだし』(2009)やスプラッタ・ホラー『冷たい熱帯魚』(2011)などの意欲作から、『新宿スワン』(2015)などの企画映画も手掛け、多作な作風で知られています。
主人公の野蛮な男・メラを演じたのは、大河ドラマの主演から『HK 変態仮面』(2013)までをこなす鈴木亮平、その相手役は本業がラッパーのYOUNG DAISが務めました。また、ブレイク直前の清野菜名が、見事なアクションを見せてくれます。
『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』(2007)
最後は、ジョニー・デップ主演の『スウィーニー・トッド フリーと街の悪魔の理髪師』です。
1800年代のロンドンが舞台。ベンジャミン・パーカーは、美しい妻を奪おうと画策したターピン判事により、無実の罪でオーストラリアへ流罪になっていて、15年ぶりの帰還となりました。もともと働いていた理髪店に戻った彼は、隣人から、かつての妻はターピンに暴行されたことで自殺し、娘のジョアンナが判事に軟禁されている、ということを聞き、復讐を誓うのでした。
ホラーとミュージカルは、なかなか相容れないものです。メジャーな作品の中では、それまでにも『ロッキー・ホラー・ショー』(1975)や『オペラ座の怪人』(2005)のようなものはあれど、あくまでも「ホラーテイスト」にとどまっていました。しかし本作は、日本ではきっちりR15+の制限がかかったように、残酷描写も本格的でした。
監督はティム・バートン。それまで、『チャーリーとチョコレート工場』(2005)のように、一部に歌やダンスが盛り込まれた作品はあったものの、全面的にミュージカルの体裁を纏うのは珍しいことでした。また、おどろおどろしい要素があるものの、基本的にはコメディ・ファンタジーを扱う彼にとって、いちばんホラーに寄った映画ではないかと言えます。
また、ジョニー・デップの歌を本格的に聞けるという点でも、レアな作品ではないでしょうか。もともと、ミュージシャンとしての側面もあり、決して歌が苦手ではないはずですが、ミュージカルへの出演は、いまのところ、後にも先にも本作だけになりました。